戦国時代に発展した印鑑文化

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むかしの戦国時代では、その陰では密かにさまざまな情報戦が繰り広げられていました。
数々の書簡が戦場を駆け巡りましたが、その文には戦国武将それぞれのものであることを示す印鑑が押されていたのです。

印鑑を押すことで、その分が自筆であることを表す意味もありました。
たとえば、織田信長は有名な「天下布武」の言葉を印として用いていました。 豊臣秀吉なら姓から「豊臣」を、徳川家康は縁起の良い「福徳」といった文字を使っていたのです。 武田信玄や上杉謙信、北条氏も印鑑を持っていたと伝えられています。
印鑑は武将の権力の象徴でもあったわけです。

このように、戦国武将に愛されていた印鑑が、 庶民の間でも一般的に使用されるようになったのは江戸時代に入ってからだと言われています。 また、農民の管理にも印鑑が用いられていたと言います。 当時、農民には字が書けない人が多かったため、その代わりとしても使われていたようです。

明治時代には、印鑑は国の規定によって管理されるようになります。
日本という国に、すっかり印鑑文化が定着した瞬間でした。 ただ、戦国武将から派生した、このような印鑑文化は、日本を含む東アジア独特のものとなります。

今となっては欧米諸国で印鑑を公文書などに採用する習慣は途絶えています。
これには欧米人のフルネームが印面に彫り切れないほどに長いことが原因としてあげられているようです。 東洋人のように漢字にしたとき姓が1~3文字程度に収まらないために、 印鑑に彫刻する名前としては不向きなようです。

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